0001小峯隧道 1966/07/19 全ては此処から始まりました。
の、最新版 2024/10/27 同隧道・延118回目(延8,720峠)です。
2024/10 峠コレクションは、京都府福知山駅をスタートし、越え残した峠を漁り、
丹後半島を海岸走り、
一応、伊根の舟屋を押さえ、3泊目は舞鶴市内に宿をとりました。
舞鶴は 1974/03、2008/08、に続き今回が3回目。
4日目は、前2回に走行した峠の写真を後追いで撮影しようと思い、先ず0366双鶴通洞へ。
よしよし、順調。此処は白鳥峠下の隧道だ。
西から東に抜け、振り返り撮影。
白鳥隧道。成る程、そういう事ね。1974/03/23 50年前の走行だから、そこまでの記憶も記録も無し。
しかし、何か引っかかる?!
こういう時に役に立つ、マイWEBコレクション。隧道前で、即、検索。
1114白鳥隧道 京都府 (5万地形図名)舞鶴 2008/08/24走行。
同一隧道を別物としてダブルカウントしていた。と、思う。イヤ、間違いない。動揺している。
動揺が収まらぬまま、当時とは逆ルートで、1113道芝トンネルに向かった。写真撮影は無事終了(上掲の写真はトンネル西口)。
(トンネル東口)脇の広場に眼をやると、
立ちすくんだ。胸の高鳴りが聞こえてくる様だ。
1974/03/20 0:06 自宅出発 先発完投 単独走だ。R20・R16・R129・R246・沼津からR1をひた走り同夜は豊橋泊。
2日目 長浜泊。
3日目 福井県若狭町 河内温泉泊(現在は河内川ダムが出来ている)。
4日目 1974/03/23 15:16 0362青葉隧道、15:26 0363吉坂峠を越え京都府に入った。16:29 中舞鶴駅。
中舞鶴駅は 1972/11/01 に既に廃止されていた旧国鉄の駅。私の走行時、駅舎は残っていた。
そして、16:34 此の銘鈑が掲げられた隧道前に立った。地形図上の道芝隧道の西側に当たる。
現トンネルの東側広場に、明治35年に建設されたと云う旧隧道の銘鈑が案内板と共に掲示されていた。
豁然貫通:疑いや迷いがさらりと解けて物事がはっきりするという意。隧道の貫通により道がまっすぐ開けたと読み取れるとの事。
実は、当時の私には、一番右側の文字が解からなかった。
従って、先月末の更新時まで、コレクションリストには 0364?然貫通と表記していた。
これ等は、旧隧道東側銘鈑との事。記録にも記憶にも無い。
0366双鶴通洞と 1114白鳥隧道が同一だと解かった直後に、0364豁然貫通と 1113道芝トンネルが同一?かと思われる事態に・・・
帰宅して調べたら、現トンネルは、旧隧道の処に1995年に拡幅開通した模様であった。
本当に明治35年、同所に延長340mもの隧道が開鑿されたのか?
疑問は残る・・・記憶では・・・こじんまりした隧道であったのだが・・・
そもそも、2008/08/24に 1113道芝トンネルを初走行した際には、西から東に抜けトンネル竣工時期等のメモだけして、素通りに近い状況で 1114白鳥隧道に向かっていた。
当時、トンネル東口に旧隧道の銘鈑等が掲示されていたのかは、全く記憶にない。
そんな訳で、0364豁然貫通は当時の走行が、最初で最後。1113道芝トンネルは別ものとして扱い、今回が2回目の走行としてコレクションすることにしました。
本年、年末調整で、0366双鶴通洞と 1114白鳥隧道は併合します。
上掲写真は、1114の穴を埋める事となりそうな候補峠(坂)です。
本来なら、何と、0004峠になるべき坂でした。
年末調整、2025/01/01 ご期待ください。