幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく 牧水
1907(明治40)/07/02 備中から備後への旅の途中、ここ二本松峠で行き暮れた牧水は、峠の茶屋で一夜を過ごした。
その時詠んだ二首の内の一首が、此の歌である。
私にとって若山牧水の原点は、此の写真になる。
1969/04/03 0086暮坂峠 高3にあがる春休みに、その後スピード山岳サイクリング先発完投型を共に目指すこととなる相棒氏と二人で越えた。
何処を見ていたのか、雪が残る山々を見渡す後ろ姿が忘れられない。
牧水は 1907/07 岡山・高梁・新見・宮島・山口を旅した後、故郷:宮崎県東臼杵郡東郷村(現在の日向市)に病臥していた父親を見舞い帰省した。
私は 本年/05 宮崎県パスハンティングの際、同地を訪ねてみた。
記念文学館にも寄ってみた。(後ろに写り込んでいる建物は、同敷地内にある別施設。)
「幾山河・・・」何タイプかの書があったが、此れが私の好み。
近くにある生家にも足を伸ばした。
牧水の父親・祖父は医師なのだ。
親族には期待されていたのだろうな。
しかし、医師になっていれば、名を遺すこともなかったろう。
人生は、難しい。
記念文学館を訪ねた 2023/05 はまだコロナ問題に厳格に対応している施設が多く、私も入場に際し住所・氏名等の申告を求められた。
帰り際、学芸員の方から「お住いの近くに牧水の歌碑がありますので、写真撮影してメール等で送ってもらえませんか。」との申し入れを受けた。
それが、東京都立川市・甲州街道日野橋北詰にある根川緑道。
喜志子夫人の歌碑。
長男旅人の歌碑。
で、牧水の歌碑は、只今周辺設備の工事中。コレ 2023/06現在。
コレ 2023/11現在。
多摩川の 浅き流れに 石なげて あそべば濡るる わが袂かな
工事、本当に来春までに終わるのかな? 工事期間、延長につぐ延長の様相だが!
学芸員の方との約束、まだ果たせていないのだから、宜しくお願いします。
旅とサイクリスト 1971年4月号
私が一浪後、大学に入学した年月の同誌である。
此れは同月号に掲載された、同誌編集同人・北畠昭氏の紀行文である。
峠の歌碑・帝釈峡回遊・D51の三重連など、憧れを抱き読ませて頂きました。
52年の歳月を経て、憧れの一部を手にする事が出来たような気持ちです。
北畠氏とは全く面識は有りません。
誌上から、少なくても私より一回りは年長であると受け取っております。
何処か、旅先の・・・三等旅館の特別室でビールでも飲みながら、旅の話・鳥の話(同氏は鳥博士)、北畠ワールドを伺えたら・・・
二本松峠、他の一首。
けふもまた 心の鉦を うち鳴し うち鳴しつつ あくがれて行く 牧水
43年の生涯において約9000首の短歌を残し、その歌碑は全国に300基を超えるとのこと。
奥にある家屋は、(復元された)牧水が宿泊した峠の茶屋・熊谷屋。
さあ、私も、あくがれて(憧れて)旅に出よう。
追記:2024/04 根川緑道の現況。
3月末で工事終了となる緑道(本当に牧水歌碑の周りだけなのだが)の様子は・・・
ちょっと殺風景な感は否めませんが、工事は終了しておりました。
此処まで来たら、JR立川駅北口にもお立ち寄りください。