「スピード山岳サイクリング・先発完投型」とは、私のオリジナル、造語である。
私の若い頃、「スピードサイクリング」という言葉があった。
シイチ(27インチホイール、1か1/4の細いタイヤ)で、先頭交代しながらチーム走行する(競技ではない)=そんなイメージ=私は、やったことはないが。
「山岳サイクリング」という言葉は、その頃からボツボツ聞くようになった。
「先発完投」とは、勿論、野球で先発ピッチャーが一試合投げぬく事、例え延長戦になってもだ。
それらを融合させ、自宅から走行を開始、スピーディーに険しい峠みちを走破し、自宅までの全行程を自走する。
それを、いかにスマートにまとめ上げられるかが、腕(脚?)だ。
この夏は、単独走。
1969年8月14日・第1日目、自宅出発3:05、奥多摩湖小河内ダムサイド着5:49、柳沢峠着10:28、丸川峠着13:17、大菩薩嶺着15:24、大菩薩峠着16:10。
同峠・介山荘泊、因みに、この時代の当地山小屋は、寝具付宿泊料500円、食事1食200円、弁当150円、1泊3食で1,050円。
15日・2日目、同山小屋発7:43、石丸峠着8:25、小金沢山着10:40、牛奥の雁ケ腹摺山着12:38、黒岳着16:34、湯ノ沢峠着17:56、<背丈まである熊笹の中の小径を行く>日没のためタイムアウト19:21。
満天の星を眺め、野宿。
16日・3日目、ビバーク地発5:07、すぐに林道へ出た5:21、新笹子隧道着7:16、大垂水峠着10:27、帰宅11:43。
未熟さ丸出しの、まとまらないツーリングですね。
攻撃的に走りたい。
そんな思いが勝っていた時代だったのでしょう。